TADASHI SHOJI

世界中で知られるタダシコレクションを築き上げたファッションデザイナー タダシ・ショージ。生い立ちをはじめ、様々なタダシ・ショージの素顔を追う…。
TADASHI SHOJI(タダシ・ショージ)
Fashion desinger TADASHI SHOJI タダシ・ショージ/庄司 正

 宮城県仙台市に生まれ高校まで過ごす。 芸術を愛し、前衛芸術家高松次郎氏に師事する。

 1973年に、アメリカ・ロサンゼルスに渡り、ニール・ダイアモンド、エルトン・ジョン、コモドアーズ等のステージ衣裳を手がけるハリウッドのコスチュームデザイナー、ビル・ウィットンの下で働き、ここでの経験によってファッション界の大きなパワーに影響を受け、芸術的要素を盛り込んだTADASHI独特のデザインであるイヴニングウエアも手がけ始める。

 1982年、TADASHIを設立し、順調に成長を遂げ、今ではペティートからクィーンサイズまでのイブニングドレスや、セパレーツ等で、業界をリードするまでに成長する。


ストーリー

 世界中にファッションデザイナーはたくさんいます。彼らは情熱を追い、技術に磨きをかけ、自らの作品を生活の糧にすることを夢見ています。 その中でタダシ・ショージは、若い頃から自分の才能を信じ、そしてその才能を活かし、仕事に対してひたむきな情熱を注ぎ込んできた結果、熱心で、時には熱狂的な支持を受けるファッションデザイナーとなり、その存在は世界でも知られるようになりました。

 ファッションデザイナーならば、誰でも夢見る成功を収めたのです。

 タダシ・ショージは、宮城県の仙台市に生まれました。 小さな頃から絵を描くことが好きで、その才能は誰からも認められるものでした。 高校を卒業すると、保守的で伝統を重んじる故郷の空気に息苦しさを感じ上京。 そこで美術を学び、その中でも特に現代美術に興味を持ち、60年代の旗手であった高松次郎氏に師事。 アシスタントとして活動しながらも、現代美術の最前線であるニューヨークへ拠点を移す事を決意します。

タダシ・ショージ  しかし、運命の悪戯か、ニューヨークへ行く前に立ち寄ったロサンゼルスで、南カリフォルニアのライフスタイルに魅了され、短期滞在予定が、住居を構え生活するまでになりました。 ロサンゼルス、トレードテクニカル大学在学中に、タダシの興味はファッションデザインへと移っていきました。 そんなとき、大きな出会いがありました。 70年代のミュージックシーンをリードする多くのアーティストのステージ衣裳を手がける有名なハリウッドのコスチュームデザイナー、ビル・ウィットン氏の下で働く機会を得たのです。 エルトン・ジョン、スティービー・ワンダー、ニール・ダイアモンド、ジャクソンズ、コモドアーズそしてアースウィンドアンドファイヤー等、誰もが知っているアーティストと仕事をするのですが、「東京の現代美術から、まったく違う世界に飛び込んで、この人たちがそんなに有名だとは知らなかった…。」と、後日談としてタダシは冗談まじりによく言います。

 大学でファッションデザインの課程を卒業後、有名服飾メーカーへ就職したものの、やがて虚無感を感じるようになります。 タダシはいつも考えていました。「どうして女性が特別な時のためにドレスアップするのにこんなにお金がかかるのか。もっとたくさんの女性が、気軽におしゃれできるような価格でドレスを提供できないか…」と。 デザインが良く、美しく見えて、リーズナブルな価格…それを実現するには、独立し実行するしかないと決意したのです。

 今までの経験と、服に対する情熱、そして芸術的才能を携えて起こしたビジネスは、数多くの人々から支持され、すぐにニューヨークの有名デパート、バーグドルフグッドマンやサックスフィフスアヴェニューに見出され、成功への道を歩み出しました。

 1982年に、デザイナーであり、オーナーであり、社長であるタダシ・ショージがロサンゼルスを拠点として設立したブランドは、個性豊かなデザインと、独創的なコレクションで広く知られるようになりました。 常に安定した成長を遂げ、現在では世界中の4000以上の有名百貨店や専門店で販売され、名だたるセレブリティーや全世界のファッショナブルな女性たちに愛用されています。 さらに各国のミスユニバースにとどまらず、世界大会等でも公式なスポンサーとしてドレスを提供することを求められるようになったのです。

 2004年3月にはフラッグシップ・ストアーを全米ナンバー1の売上を誇るサウスコーストプラザに、2004年10月には2号店をラスベガス、シーザースパレス内フォーラムショップにオープン。 2007年にはニューヨークコレクションで新ブランド“TADASHI SHOJI”を発表。 今後の更なる活躍が期待されています。